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【小説】わたしを離さないで 感想(ネタバレあり)~ドラマが苦手だった方にも読んで欲しい作品

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)
オーベイビー
オーベイビー
私を離さないで

わたしを離さないで
ハヤカワepi文庫
原題:Never Let Me Go
作者:カズオ・イシグロ

※小説、およびテレビドラマ版のストーリーのネタバレがございます。未読・未視聴の方はご注意ください。

登場人物たち

■キャシー・H
この物語の語り部。現在は31歳で介護人という仕事をしている。
ヘールシャムというとある施設の出身で、幼い頃から観察力に優れており、親友であるルースの見栄っ張りな性格やそれによる嘘も見抜いている(が、本人の気持ちを察して告げることはない)。いじめられているトミーを庇うなど、聡明で心優しい性格の持ち主。

テレビドラマ版では恭子。
ドラマでは大人になった彼女は常に無表情でとても冷めた性格となっているが、原作ではそのような描写はない。

■トミー
キャシーと同じくヘールシャム出身。幼少期は癇癪持ちで、絵が得意でないことから周囲から苛められていたが、ルーシー先生の助言により落ち着きを取り戻し、そこからは通常の生徒のように振舞えるようになった。苛められた時に唯一声をかけてくれたキャシーとは二人きりでよく話すなど互いに強い絆を持つが、15歳の時にルーシーと付き合いだし、肉体関係を持つ。

テレビドラマ版では友彦。

■ルース
ヘールシャム出身。
キャシーの親友。いつも自分が優位でいなければ気がすまないという性格で、見栄で知ったかぶりをしたり、ウソをついてしまうこともしばしば。キャシーが本を読んでいる最中、真横でその本の内容をネタバレするという暴挙に出てケンカになったこともある。

テレビドラマ版では美和。

■ルーシー先生
ヘールシャムの「保護官」。ブルドックに似ているといわれるほどずんぐりむっくりとした体格だが、ヘールシャムきってのスポーツウーマン。ある日、絵が下手なことを悩むトミーに「絵が描けても描けなくても、あなたはとてもいい生徒」と告げたことで、トミーから信頼されている。が、ヘールシャムの教育に疑問を持っていたことで、のちに「あなたたちは教えられているようで教えられていない」「あなたたちの将来は決まっている」と生徒たちの前で話してしまう。その後学校内での立場を悪くし、辞めさせられてしまう。

辞める直前には、トミーになぜか「絵を頑張れ」と以前とは真逆のことを告げていたが・・・

テレビドラマ版では龍子(たつこ)先生。原作と役割は変わらないものの、新人教師っぷりが増している。また原作ではドラマとは違い、辞めたあとの彼女と再会することはない。

■エミリ先生
厳格なヘールシャムの先生。
彼女とマダムはある信念に基づきヘールシャムを開校したが、果たして彼女たちは正しかったのか、間違っていたのか・・・。

テレビドラマ版では神川恵美子として、ヘールシャムの校長という立ち位置に。さらに自身も「初のクローン人間」という設定が盛られていた。尚、彼女が生徒たちに伝えた「天使」という洗脳じみた教育はドラマオリジナル。

物語の主軸は、幼馴染3人の関係性

臓器移植用に造られたクローンたち。その子供を養育するための施設・ヘールシャム・・・ディストピアのような世界観を持ちながらも、物語の主軸はあくまでも女の子同士の、愛憎入り混じった背中合わせの友情。そしてトミーとの恋愛である。

キャシーから語られる彼女の少女時代の思い出話には、とても背景にクローンという特異な世界があることを感じさせないありふれた日常であり、クローンという異質な世界を持つ事が読者に明らかになるのは、ヘールシャムの中で唯一、方針に疑問を持ったルーシー先生の、あなたたちの将来は(臓器を)提供すること、あなたたちの将来はすでに決まっている・・・という趣旨の発言をした時である。

そしてその騒動のすぐあと、とある生徒の「だからなんだよ、そんなのみんな知ってるじゃん」の一言で読者を一気に崖から突き落としながらも、その後も世界の不条理に触れることもなく、まるで青春小説の様な、彼女たちの微妙な三角関係の日々が綴られていく。

善悪で図れない「ヘールシャム」の存在

物語の終盤で、ようやくトミーとキャシーが「愛し合う二人には提供までに「猶予」が与えられる」というルースが信じ続けていた噂を確認するため、そして二人に猶予を勝ち取って欲しいという最後の願いを叶えるために、マダムの元へと向かう。そしてマダムと、エミリ先生の口から真実が語られる。ここでようやく、キャシー以外の口から、この世界がどういう世界なのかが語られることとなる。

この世界がクローンへの偏見に満ちていること、今後のクローンたちの未来のこと、救いや希望は無い、残酷な世界の真実。

その世界で、マダムたちの「クローンも一人の人間である」という信念自体は正しい。そして彼女たちのおかげでヘールシャムの生徒たちは他とは違い遥かに人間らしい教育を受け、子供時代を友人と平和に過ごすことはできた。が、エミリ先生の「あなた達を立派に成人まで育てた自負」やマダムの「かわいそうな子たち」という言葉には、どうしても"偽善"の二文字が浮かんでしまった。

しかし彼女たちの行動が間違っていると言い切ることも出来ない。(このあたりはドラマ版は大分エミリ側が好意的に描かれている)が、原作ではトミーは「ルーシー先生が正しかった。エミリ先生じゃない」と述べている。

だがトミーが思う正しさもまた、誰かを救うものではないのだ。

「離さないで」というタイトルの意味

物語の中で、キャシーが大切にしているカセットテープ。その歌手とされるジュディ・ブリッジウォーターなる人物はカズオ・イシグロの創作であり、実在している人物ではない。(映画版・ドラマ版は原作から想像して作成した曲となっている)。

そのカセットテープ『夜に聞く歌』の中で、キャシーが繰り返し聞いているのが、小説のタイトルになっているNever Let Me Go(わたしを離さないで)である。

キャシーは「ベイビー、わたしを離さないで」という歌詞に、クローンが子供を産めない様に創られているという自身の出生から、

子供を産めない体だと言われていたもののある日子供を授かった母親が、喜びと失うかもしれない恐怖から、「離さないで」と赤ん坊に歌っている・・・。というイメージを抱いている。(本当はこの歌のベイビーとは「恋人」のこと)

そしてマダムはキャシーがこの曲を聴きながら、枕を赤ん坊代わりに抱いている姿を見て「新しい世界に追いやられた古い世界」を抱きしめているように錯覚している。マダムやエミリは「人間は一度便利なものを手に入れたら、もう元には戻れない」と語る。今更手放せない、離せないと。

そしてトミーが死ぬ前にも同様の言葉が語られる。どんなに愛しあって、離れたくないと願っても、最後は違う。永遠に一緒ではいられない。いつかは手を離さなければいけない・・・。

これらの「離さないで」という言葉は、いつか必ず離さなければいけないとわかっていても、そう願わずにはいられない何かに対しての思いが込められている。

ならばタイトルの「わたしを離さないで」とは、語り部であるキャシーがついぞ言えなかった、トミーやルースなど愛する人たちへの言葉だったんじゃないか。そう思わずにはいられない。

最後に

クローン云々の設定に好き嫌いは分かれるとはいえ、機会があればぜひ一度読んで頂きたい作品。特にドラマ版のむりやり感動的に持っていった最終話が苦手だった方にはおすすめです。

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