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【映画】スイミング・プール ネタバレ感想~真夏の別荘で起こる殺人事件?謎と疑問点もまとめ!

スイミング・プール [DVD]

ミステリー度 ★★★★★
考察度 ★★★★
結論:ラスト5分の衝撃!

2003年 イギリス・フランス
監督:フランソワ・オゾン

※ストーリー、ラストのオチのネタバレあり。未視聴の方はご注意!※

/主要人物/

■サラ(吹:宮寺智子)
50代後半のイギリス人女性。
人気推理作家で「ドーウェル警部」シリーズにファンが多くいるが、最近はスランプ気味。そのせいか、編集長のジョンから「フランスの別荘で執筆活動をしてみないか」と促される。(しかし、ジョンが別荘に来ないことに不満気であることから、ハッキリとは明示されていないものの、彼とは男女の仲であったことが伺える)。

神経質な性格で、別荘では基本お酒かダイエットコーラしか飲んでおらず、ご飯がトマトとヨーグルトだったりする。また、長く放置されていた別荘のプールを「バクテアリアの巣」といって頑なに入ろうとしないが、のちのち・・・。

ちなみに若い頃は「スウィンギング・ロンドンの世代」だったこともあり、ジュリーと同じく一通りの悪いことは経験しているらしい。

■ジュリー(吹:弓場沙織)
いきなり別荘に現れた女性。編集長・ジョンの娘だという。左利き。
若さ溢れる美しい肢体と生意気なおっぱいを見せびらかすような自由奔放な性格で、毎日の様に男をとっかえひっかえ連れ込み、最初はサラと衝突するが・・・?

■ジョン(吹:有本欽隆)
サラの編集長。最近は新人の育成に力を入れている。
スランプ気味のサラに別荘での執筆を進めるも、自身は決していこうとしない。

■フランク(吹:水内清光)
別荘の近くの村のカフェ店員。
サラと互いに惹かれているような描写がある。

■マルセル(吹:田原アルノ)
別荘の管理人。
ジュリーとも知り合い。役得じーちゃん。

■マルセルの娘
マルセルと年が同じくらいに見えるが、彼の娘である(早老症で小人症?)。ジュリーと、ジュリーの母親のことを知っている。

目次

ストーリー

サラとジュリー

別荘で執筆活動をするサラ。
そこで出会った若く美しい娘・ジュリー。
ひと夏の間、彼女たちは奇妙な共同生活を送ることになる。

性を謳歌する彼女に反発しつつも、なぜか次第に惹かれ、彼女を創作対象に「ジュリー」という小説を書き始めるサラは、少しずつジュリーと距離を縮めていく。

13歳の時に初めて男と寝て、16歳の時はじめて恋を経験したこと──。そして母親もサラと同じ作家だったことを語りだすジュリー。

ジュリーの母親は自分とジョンの出会いを描いたラブストーリーを書いていたが、ハーレクイン風(女性向けの恋愛小説)の作風はジョンの好みではなく、作品をこっぴどくけなされたことで、燃やしてしまったらしい。そしてジョンと不倫関係にあった母親は、結局は彼に捨てられてしまった。

殺人事件

そんなことを語り明かした翌日。
サラが出かけている間に部屋に忍び込んだジュリーは、サラが自分を題材に小説を書いていることを知ってしまう。
そしてその夜。
ジュリーは、サラがフランスに来て以来密かに気にしていた男性・フランクを家に連れ込む。サラを気にするフランクをプールに誘い、裸となって迫る。

が、そこで事件が起きる。
なんと、サラのけん制を気にして事をせず帰ろうとしたフランクを、ジュリーが殺してしまったのだ。ジュリーはサラを母親と間違えるほど錯乱し、「あなたの本のため殺した」と不可解な動機を口にする。

フランクの遺体を、自身の知識をフル活用して隠蔽したサラ。

だが芝刈りをしていたマルセルが、遺体を埋めた跡を気にし始める。ベランダからその様子を見ていたサラは、咄嗟に来ていた赤いドレスを脱ぎ、マルセルを誘惑。事なきを得る。

ラスト

全てが終わり、別荘を去ったジュリー。
だが彼女は、別荘に母親が遺した原稿のコピーを置いていった。この原稿をサラが使ってくれるなら、母親は生き返るかもしれない・・・。そう綴られた手紙の通り、サラはその原稿を使い、新作を書き上げる。

新作を読む編集長のジョン。
だが、かつてジュリーの母親に言ったことと同じようなことを口にする。その言葉に「想像通りだ」と笑ったサラは、既に別の出版社と契約し、製本された本をみせる。白い水着に金髪の女性がプールで泳ぐ表紙。タイトルは「スイミング・プール」

「サインしといたわ。お嬢さんにあげて」と言い残すサラ。そこへ入れ違いに、編集長の娘の『ジュリア』が現れる。ちょっとぽっちゃりとした、地味な少女。

シーンが切り替わり、あの別荘のバルコニーに立っているサラ。プールにいるジュリアに手を振るサラは、振り返ったジュリーにも、笑顔で手を振るのだった・・・。 

ジュリーの正体について

・サラの完全なる空想
・娘をモデルに創り上げた存在
・実在している

ラストのどんでん返しで一気に解らなくなるジュリーの存在!
もし実在すると仮定すれば、本当にジョンの愛人の娘なんだろう。

サラの想像上の存在とするなら、ジョンの本当の娘(ジュリア)を勝手にイメージしたものだと思われるが、ジュリーの母親の設定がまんまサラと被ることから、自分とジョンに娘がいたら・・・というイメージで創り上げたのかもしれない。

ジュリーのおなかにキズがあったことを考えると、もしかしたらサラは、ジョンの子供を妊娠したけど産めなくて、その子供が生きていたら~みたいな妄想をした、とか・・・

ジュリーが完全な空想の産物だとしても、「お腹に傷」設定をどういう意図でつけたのかが疑問。

現実か、妄想か?

映画内のことは全て実際に起きていることで、編集長への電話が繋がらないのは彼がサラから逃げているから、ジュリーが編集長と電話していたのは、実は一人芝居だった・・・とか考えることも出来なくはない。

ただ鏡の演出などを鑑みると、一般的なこの映画の解釈である「ジュリーはサラの空想上の人物」が一番解りやすいように思う。

ただ、
どこまでが現実だったのか?
フランク殺人事件は本当にあったのか?
が大きな謎でもある。

フランクの存在そのものが妄想なのか、それとも気になるカフェ店員として実在はしていたのか。もしかしたら本当にサラが殺してしまったんじゃ・・・とか自由に解釈できるが、フランクの事件のくだりがまさにミステリー小説!みたいな展開だったことや、遺体を隠蔽する時のサラのノリノリ具合を見ると、殺人事件自体は、ぜんぶ妄想の中の出来事だったように思える。

鏡越しの演出

ジュリーの部屋から勝手に日記を持ち出し、それを元に小説を書いているシーン。ここでは、「鏡に映った小説を書いているサラ」が、鏡に映っている。二重になっていることから、これは現実ではない(小説の中で、「小説を書いている自分」を書いている)ことへの示唆だろうか?

ちなみに、ジュリーにお腹のキズのことを尋ねている時と、後述のサラの姿は鏡越しに映っている。

ラストの手を振るシーン

ジュリーの母親のものと思われる赤いドレスを着たサラが、バルコニーからジュリーに手を振っているラストシーン。

本来サラは右利きだが、このシーンではなぜか左手を振っている。そして、左利きだったジュリーは右手を振っている。

対面している二人は手を振る方向は逆だが、全く同じタイミングで手を降ろしていて、まるで鏡写しのようになっている。この演出は、サラとジュリーが同一人物であることを暗示しているのかもしれない。

疑問点

十字架の謎

別荘に着いた初日にサラが外した壁の十字架。
だが、外したはずの十字架がなぜか戻っているシーンが幾つかある、

・ジュリーがサラの部屋に忍び込み原稿を盗み見たあとに、サラが帰ってきた時(しかしその様子は、何故か鏡越しに映される)。
・フランクの遺体を埋めた後で部屋に戻った時。

どちらも必ず、ジュリーがサラの部屋に入った後に起きている。

他人の日記を盗み見たり、人殺しなどいけないことをした「罪の意識」をジュリーが代弁しているのか?

ちなみに、マルセルの娘と、別荘でサラと別れる時のジュリーは十字架のネックレスをしている。意味深。

マルセルの娘の存在

ジュリーの母親は事故で死んだと告げた時、ああも怯えていたのは何故か?
本当は事故ではなかったのか?

フランク&ジュリーの妄想シーン 

寝ているジュリーを見つめているフランクが自慰するシーン。まるでこのシーンと対比となっているような、寝ているサラを見つめるマルセルのシーンがあるが、前者はサラの夢(妄想)だが、後者は現実だったのか?

妄想だとすれば、なぜサラを見つめていたのがフランクではないのだろうか?

赤と青の対比

サラの持ち物には「青」が多く、部屋の壁やドアの色も「青」だが、ジュリーの部屋は壁が一面「赤」で、母親のドレスや車も「赤」だったりする。サラ=理性的な自分、ジュリー=本能的な自分、という対比だろうか?

サラも若い頃はそれなりにやんちゃしていたようだから、ジュリーと同じ奔放さを根っこに持っているのかもしれない。

関連商品

※DVDは無修正版通常版があるので注意!

↑オゾン監督が書いた小説版。

↑サウンドトラック。
メインテーマと、フランクとのダンスシーンでかかってる曲が好きなんですが、後者はサントラに入ってるのかな・・・?

最後に!

ホラー脳なんで夏になるとやれ幽霊だグロだとそういうのばっか見ちゃうんですけど、たまにはこういうサスペンスなのもいいですね!四角に区切られたプール、不自然なくらい青く美しい水・・・プールも鏡と同じように、現実を映すもの=虚飾の暗示なのかもしれません。きっと解釈としては「全部空想」が正しいと思うんですが、自分は「全部現実」なんじゃないか?という思いも拭えないんですよね~。

ただこの映画は明確に答えはなく、観客が自由に想像していいらしいので、いましばらくは色んな可能性を妄想しようかと思います。