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【アニメ】すべてがFになる 最終考察!~原作未読組の最後の挑戦!そしてすべてが謎になる~※ネタバレあり

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アニメ「すべてがFになる」が最終回を迎えました。天才プログラマーの真賀田四季博士が仕掛けた壮大なトリック。その全ては犀川先生と萌絵ちゃんが見事に解き明かしてくれましたが・・・まだ個人的には解けていないがたくさんあるんです!なので今回はそれらの疑問点について、それぞれ考察(妄想)していきたいと思います。

※アニメ「すべてがFになる」のネタバレあり
※原作未読の状態で考察しています。

目次

四季の謎

真賀田四季。
作品の謎そのものである人物。

アニメの予告映像で「最もに近い存在」とまで揶揄された天才プログラマーにして、14歳で両親を殺害した多重人格者でもある彼女は、なぜ事件を起こしたのか?

まずは四季の疑問点からまとめていきます。

四季の人格たちの謎

漫画やアニメでよく登場する多重人格者は「本来の自分がいて、その自分を守るために様々な人格に分裂する」というパターンが多いが、四季の場合はそうではない。四季の人格たちには元となった人物がいて、更にその人物は全て死んでいるという共通点がある。

四季の人格たちはまるで本当に生きているようだったと、アニメ5話にて所長の妻が発言していることから、四季には自分と接した人間の人格を自分の中に創り上げる能力があったのだと思われる。(ただ、赤ん坊の頃に亡くなったという兄の人格や、元々は人形の人格だったという「ミチル」については謎が残る)

当初は
四季が殺した人間が四季の新たな人格になるのではないか?というサイコパスな妄想をしていた。さらに最終話で、娘(ミチル)と所長が四季の中の新たな人格となったことを暗示するラストがあったが・・・。

では、四季が殺した両親の人格が存在しないのは何故なのか?

もしかしたら四季の人格たちは、四季が愛していた人物、もしくは四季が愛されたいと思っている人物に限定されるのかもしれない。
四季は自分が愛した人間が死んでしまった時、自分の中に人格として取り込むことで、永遠に愛し続けたかったのだろうか? (ただこの考えだと、四季は自分の両親の事は愛していなかったことになるのだが)

なぜ四季の両親は殺されたのか

両親の描写はアニメでは回想シーンでわずかに登場するのみで不明な部分が多い。が、娘と食事会をするなど、娘のことは愛しているように見えたし、四季も最終話で煙草を吸った時「お父様の匂いだ」と言っていたので、両親のことを嫌っていたとは思えない。ただ天才の娘と凡人の両親──そういったところで溝ができてしまったのだろうか?

両親は四季の妊娠の事実に激昂し、子供を産むことに反対したから殺された・・・となっているが、アニメだけ観ていると、両親に妊娠の事実を知らせる前からナイフを購入し犯行を計画していたので、反対されることも何もかも予想済みだったとしか思えない

アニメでは刺せない所長に変わって自らの意思で四季が母親を刺し、そして父親を所長と二人で殺している。両親への憎しみといった世俗的な動機ではなく、アニメ10話で萌絵に語っていたように、単に四季にとっては子供が親を殺すという行為はタブーでもなく自然なことだったから殺しただけで、「ジャマになったから殺した」とかですらなく、動機という概念そのものが存在しないのかもしれない・・・。このあたりの思考は正直、考えてもわからない。自分には四季と同じ景色を見ることは出来ないのだと思う。

四季は本当に娘を殺したのか?

本来は娘(ミチル)が四季を殺すはずだった。が、萌絵との会談により自分の存在に疑問を持ってしまった道流は母を殺せなかった。

この時に何があったのか。母を殺せなかった娘は自分から母に殺されることを望んだのか、それとも自ら命を絶ったのか?

四季の人格たちがパソコンに残した「道流が一番外へ出たがっていたけど」という言葉が真実なら、娘は外へ出てみたいと思っていたはず。その外という概念が己の肉体から解き放たれたいという意味で使われていたのなら、死によって外へは出れたということになる。

だがあの部屋で自殺することができたのだろうか?
死体に外傷はなかった
ので考えられる方法は首吊りぐらいだが、死体が綺麗だったことを考えると、薬や毒物を使った可能性もゼロではないかもしれない。

自分の娘にウェディングドレスを着せて外へ出したのは、手足を切断した死体の不自然さをごまかすためか、それとも、娘への最後の餞(はなむけ)だったのだろうか・・・

すべてがFになる四季と道流

それにしてもソックリな母娘。
所長の遺伝子どこいった?

四季はなぜ外へでたのか

そもそも娘が死んでも計画を実行したのは何故だろうか。最終話で四季が語った「誰かに殺されたい」=誰かに愛されたいことが望みだった為だろうか。両親を殺しても死刑にならなかった経験から、このまま警察に自首しても司法によって裁かれるだけで、誰かの手にかかって死ぬことはできない、だからこそアニメの最終話では自首するとは一言も言わなかったのかもしれない。(アニメでは黒服の男たちに連れて行かれる描写があるが、これは四季の頭脳にお金を払う企業や何らかのルートがあることを示唆しているのではないだろうか)

四季は誰かに自分を殺してもらうまで、愛してもらえるまで生き続けるのかもしれない。しかし、アニメ10話の先生と四季と逢引のような会話や最終回のやりとりを見るに、「四季を殺してもいい人間」として、犀川先生が選ばれたのではないか・・・そんな気がする。

未来の謎

架空の存在だったことが明らかになった妹の未来。彼女の存在は、一体いつ、何のために作られたのか?

本来は娘が両親を殺した後、四季に成り代わって外へでるはずだった計画。
だが娘の死により、娘の死体を四季と偽り、そして四季自身は妹の未来を名乗って外へ出る計画へと変更された。

だがそれならば、この妹の存在は娘が死んでから急遽つくられた存在ということになる。しかし研究所の人間にはいつ「妹の未来という存在がいる」を認知させたのか?

事件の当日、急ピッチで架空の妹の存在を創り上げたのだろうか?だとすれば研究員だけならともかく、四季の兄の存在を知っていた所長の奥さんに信じさせるのは難しい気がする。

名前がみらいとかいて「未来(みき)」なのも意味深。これは四季自身の未来という意味でつけたのか・・・。

ミチルの謎

5話で四季の人格たちの名前が苗字とセットで出てきたが、その中で、四季が研究所へ来る時に持っていたという人形の人格である「道流」だけは「真賀田道流」と苗字が四季と一緒だった。双子の兄ですら苗字が違うのに何故なのか、とは思っていたが・・・。

謎なのは、当初人形の人格であった名前をなぜ娘につけたのか、ということだ。肉体を持って生まれてくる娘に「道流」という名前を与えたのは、四季にとっては精神だけではない、肉体を持つもの=人形ということだったのだろうか。

ミチルと萌絵

7話で脳内を通して萌絵にコンタクトをとってきた「ミチル」。実際に萌絵と会っていたのは四季のふりをしていた道流だったが、恐らく会談を通じて両親を亡くしても生きている萌絵に興味を示していたのだろう。自分で両親を殺さなければいけない道流は、その後どうやって生きていけばいいのか、内心わからなかったのかもしれない。

自分は両親を殺し、子供を産んで同じように死ななければいけない。でも、萌絵は生きている。大切な人が死んだのに生きている。それが何故なのか知りたかった。だがミチルには萌絵の様に、犀川先生のようにそばにいてくれる人間がいない・・・。

実際は「ミチル」の名を使い、脳内の世界でコンタクトをとってきたのは四季ではあるが、四季の人格ではなく、恐らく娘の人格「ミチル」が萌絵と会話していたのだろう。

ならばあの時、萌絵に言った「こちら側」に来て欲しい、という願いは娘の本当の願いだったのかもしれない。(だが深読みすれば「肉体を捨てて一緒に自由になろうよ」という死のお誘いともとれる・・・)

新藤所長の謎

唯一妊娠の事実を知っていた新藤所長は、周囲に悟られず赤ちゃんを育てられるよう、裏で何かと援助していたのだと思われる(赤ちゃん用品とかこっそり用意していたのでは?)
最後まで共犯だった彼だが、娘が四季として生きるという計画が狂ったことは知っていたのだろうか?娘が死んだことに、何か思うところはなかったのだろうか・・・

ロリコン野郎とか眼鏡とか散々なことを言ってしまった新藤所長だが、このクソダサイ親指サイン時、実はもう首にはナイフが刺さってたらしい(アニメ10話)

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逆にナイスファイトだったのか・・・
ダサイとか言っちゃってゴメン!

でもやっぱアンタがもうちょいしっかりしていれば!娘さんは死ななかったんじゃないのとか!四季ちゃんに親殺しをさせずにすんだんじゃないのとか!色々と思うところはあるんじゃ~い!!

演出の謎

アニメは色の名前がサブタイトルに必ずついたりと様々だった演出。原作未読なのでこれらの演出が原作に沿ったものなのか、それともアニメ独自のものなのかは解からないが、あえて未読の視点のまま考察!なんで全然ちげーよ!なところがあっても笑って許してくだせぇ・・・

黄色の謎

すべてがFになる最終回 黄色いブロック

アニメでは四季の部屋に置いてある風船の色が「赤・青・黄」と三原色だったり、CDのジャケットの色が白以外だと赤・青、そして黄色になっていたり・・・何かと三原色がクローズアップされてますよね。

トリックで非常に重要な意味を持つ「レッドマジック」、四季が見たいといっていた海の色でもある「青」・・・そして、黄色はメインデザインにも頻繁に使用されたり、「すべてがFになる」という言葉の意味が解けた最重要回の9話のサブタイトルが「黄色い死角」だったりと、とりわけ重要な色として使われていました。

黄色が持つイメージといえば、真っ先に思いつくのが「警戒色」。カラーセラピーなどでは知性を高めるという意味もあるようですが、一方で幸せの黄色いハンカチのようにポジティブなイメージを連想させる色でもあります。

基本四季が着ていた服は白で、四季に関わる色として黄色は出てきませんでしたが・・・

アニメすべてがFになる最終回 船

最終話で登場した海の世界は黄色でしたね。

ここに佇む四季の髪は長いまま。ということは、この場所はバーチャル機械で四季が見ている脳内の世界か、もしくは完全に妄想の世界。このイメージは1話でも登場しているが、ボロボロになった船も比喩的です。

黄色、この色は四季にとって、「Fになる」の世界で、何を象徴しているのでしょう?

ダチョウの謎

アニメで最強に謎だった、犀川先生の推理シーンのこの演出!ダチョウ!!

すべてがFになる 演出のダチョウ

アップになるダチョウ、群れで走るダチョウ・・・その他の古代人(?)のシーンが吹っ飛ぶほどのインパクトがありました。

ネットで調べたところ、消化を助ける為に石を食べるとか、「ダチョウ症候群」という現実逃避する人みたいな比喩があったり、聖書ではダチョウはかなり汚い生き物とされていて、自分の子供の面倒をみないとか言われているとか色々面白いトリビアはありましたが・・・うーんわからん!!

一つわかったのは、実際はダチョウには声帯がなく、喉を鳴らして鳴き声を出すんだそうです。ただオスもメスも滅多に鳴かないらしく、メスは産卵前には鳴き声を出すことが多いのだとか。でもアニメのガーガー鳴いてた声とは全然違うんですよね。何か意図があるのか、それともそれを含めてフェイクとでも言いたいのか・・・

謎が謎をよんだダチョウ・・・結局すべては謎のままです。

ダチョウのくだりは全部先生の「意味なしジョーク」なんだろうか・・・

考察とは言いつつ、結局は何なのかさっぱりわからず、最後まで謎なものばかりで申し訳ない!今回の考察はあくまで「アニメのみ」を観た人間の考えなので、原作を読んだら解ける謎もあるかもしれません。その時は追記するかも?

【最後に!】
四季ちゃんは眼鏡男子萌え!なんだと勝手に思ってます(笑)序盤、所長のモノローグを「実は犀川先生なんじゃ・・・!?」とか思ったりしてましたが、何となく雰囲気が似ていると思うんですよね、新藤所長と犀川先生って。四季が気に入ったのはそういうとこもあるんじゃないだろうか。

3ヶ月に渡り毎週アニメの感想記事をあげていましが、それも今日で最後になります・・・なんだか淋しいですね。でも!
これから原作と続編、合わせて20巻以上あることを思えば!淋しいなんていってられない!!(笑)

すべてがFになる (講談社文庫)

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ゆっくり読破していこうと思います!

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